「骨なし魚」は子供たちに悪影響を及ぼすか、考えてみた話。

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2022年2月22日 火曜日

「骨なし魚」は子供たちに悪影響を及ぼすか、考えてみた話。

こんにちは。
子供たちのアレルギーが食事で治りました!
いまも三人育児に奮闘中の佐々木愛です。

 
骨なし魚、というのが出回っている。
骨取り、骨抜き、ということもある。
 


 
1990年代から、病院食や老人用の食事として、食べやすく安全な食品として開発されたそうだけど、
 
やがて、普段魚をあまり食べない現代っ子でも食べやすいということで学校給食にとりいれられ、今では、秋刀魚、鯵、鮭、鯛など、たくさんの種類の骨なし魚が出回っているそうだ。
確かに食べやすく、子供たちもストレスなく食べられるので、私もときおり使わせてもらっている。
 
で、先日ふと、どうやって骨を抜いているのか気になり、調べてみたところ、だいたいが東南アジアの工場で、一本一本、人の手作業で抜かれているとのことだった。
 

 業務用骨取切り身・調味魚専門メーカーオカフーズさんのサイトより。
(「薬につけて溶かす」とかじゃなくてよかった、と思う反面、恐ろしく大変な作業であることは想像がつく)
 
さらに、この骨なし魚について調べていると、いろんな人がちらほらとこんなふうに嘆いていた、「子供たちが魚を最初から骨なしだと思ってしまうのではないか」
 
これで思い出した話があった。
 
以前、ニュース番組か何かで、
「最近の子供の中には、魚の切り身が泳いでいると思っているものがいるそうだ。嘆かわしい」みたいなコメントを聞いたのだ。
 
私はその時、思ったのだ、
じゃあ子供はどこまで見るべきだというのだろう?
 
たぶんそのコメンテーターは、魚がさばかれるところを知っているべきだ、というだろう。
しかし、魚市場の人からすれば、〆るところを見ないで何とする、って感じだろうし、
漁師さんに言わせれば、釣り上げないと生き物の命の重さはわからないぜ、って話になるんじゃないだろうか?
 
もちろん、実際に、狩りの現場に近づけば近づくほど、命を頂いているという実感は強くなるのだろう。
けれど、その実感がなければわたしたちは食べ物を食べる資格がないのだろうか。
 
じゃあ、蕎麦の実を挽いたことも打ったこともないのに蕎麦を食べる、のはいいのか?
 
ところてんのテングサとか、こんにゃく芋の姿をはっきりと思いだせる人はどのぐらいいるだろうか。
 
ソーセージがなんの、どこの肉でできているか、みんな知っているだろうか?
(豚です。なぜ豚のソーセージしかないか、は記事にしたことがあるので興味がある方はどうぞ)
 
ふざけているのではなくて、私は本当にそう思ったし、
「切り身が泳いでいてもいいじゃん。大人になってもそう、じゃないんだから」って印象をもったのだ。
 
それに正直、なんてかわいい思い込みなんだろうと思ったのだ。
だって、その切り身はちゃんと命なのだ。生きて、海を泳いでいるわけだから。
 
きっとその絵の作者のお母さんは、または、幼稚園や学校の先生は、彼(彼女?)にしっかり教えたのだろう、
これは生きていたのよ、だからいただきますを言って、感謝して食べるのよ。って。
 
そして、今は切り身が海を泳いでいると思っている彼も、いつか気付くときがくる、
だって彼は成長していろいろ経験していくだろうし、彼の周りにはいろんなメディアがあるのだから。
 
「あれ、なんかおかしくね?切り身が泳げるわけなくね?」って。
 
大切なのは、その時に、そのことに感動し、自分であらたな認識に近づいていけるかだ。
 
身近な不思議に対する好奇心。
興味。
調べていく力。
行動力。
メディアリテラシー。

 

 
子供たちに与えなければならないのは、ひとつひとつの正確な知識よりもむしろそういう能力ではないか。
 
だって私たちは文明を退行はできないのだ。
これからも生活はどんどん便利になって、いらないものはどんどんなくなって、私たちの身の回りはスッキリさっぱりしていくだろう。
魚の骨もその一つだ。
 
それに、そうなることによって現代人の魚離れが食い止められるならば、魚を食べることを推奨する立場の私としてはむしろ骨なし魚を歓迎したい。
 
そして私は食卓に骨抜きの魚を出して、子供たちに教え、考えさせたい、
魚の骨をすべて抜くのがどんなに大変か(キッチンで実際にやらせてみよう)。
 
魚の鮮度を保つために、どんな過酷な環境で骨抜き作業が行われているか。
 
それがなぜ、日本ではなく、タイやベトナムなど東南アジア系の国で行われているか。
 
その時間は理科であり、また社会であり、算数的な視座だって必要になるだろう。
 
 
現代の私たちの便利な生活は、たくさんの不思議に満ちている。
たくさんの技術や苦労や努力によって支えられている。
 
それをどうとらえ、どう切りとって子供たちに与えるかこそが、私たち大人と社会の課題なのだ。




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